There along with the people of destiny
まずは、
「ひろきの音塾」へ通ってくれてありがとう!
有り難き幸せです。
僕がピアノ弾き語りで音活動をはじめたのは、45歳半ばの46歳になる2013年。
3.11の震災を機に、東京から自主避難で楽器も仕事も手放し・・・真意を伝えたり場所を離れたことで、それまで築き上げた人間関係やご縁、お客様もかなり失った。未だその中で東京で応援してくださり続けてくれてる方々には、感謝でいっぱいです。だから、東京にコンサートに行っています。
香川を経て、ようやく当麻緑郷に本拠地をもてた2017年から「ひろきの音塾」を開きました。
ここでは一度には書ききれないほどの、神秘的な運命的な流れがそこにはあります。
この公式サイトの中で、少しずつ記していこうと思っています。
遡ること2012年の暮れ、いつものように、大いなるもの?の声が僕に降ってきました。
「タイ、讃岐、蝦夷・・・行け・・」
的なものが、僕を動かし始めました。性別記載が嫌でパスポートも持っていない海外未経験の僕。讃岐(香川)も訪れたことのない場所。蝦夷(北海道)は、旭川に生まれて3歳までいたのと、中学~高校の途中まで3年のみ。
でも、自分の意思でなく大いなるものに導かれることは・・・・大きくはこれが2度目で・・・1度目は性別適合手術の流れで・・・、それから2週間もしないうちに、香川へ日帰り旅・・5ヶ月後にはタイヘ・・・6か月後には札幌へ高校以来ライヴで、7ヶ月後には再度いますぐ!と声が降り、8か月後には香川へ移住。。。
長くなるので、これくらいにしておきますが、結果今の音むげん工房の地へ流れつきました。
・・・・・・・・・・
うんと昔みえた映像に、今の場所は近い。平らな森に小さな白い家など。それはいいとして、
大家さんである園江おばあちゃんのお父様を筆頭に、父方の系図には、なんと、神様とつながりやすい特殊能力?(本来誰もがもってると思いますが)をもつ方がいるということも判明。僕がここに来る前に、空家の希望者が何人かいる中、親族の方が僕を知らないのに音楽家みたいな人にしたらいいと思う、といっていたとか・・・。(みたいって(笑))
ここでようやく本題です(笑)。 僕は今まで人と音楽を交わす(教えると俗には言う)ことは、どうしてもとおっしゃる若干の方しかしてきていません。今も、若干名にとどめています。「ひろきの音塾」においても。
きっと、音塾にいらしてくださってる方は、「なんでこんな遠い山まで来てるんだろう?」と思っているかもしれない。確かに・・(V)o¥o(V)
僕は思います。感じています。
There along with the people of destiny
運命のひとたちと共に在る。
再会して・・・再開しているような感覚を覚えます。
きっと、僕にくれた神様の贈り物。
この土地に引き寄せられてるかもしれませんが・・。
あなたが感じること、信じてみてください。
その音旅は、きっと財産になるはずです。
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