2016.7当麻緑郷、ここから始まった!
2016年一番大きな出来事は、音むげん工房の本拠地を旭川から当麻町緑郷へ移したこと。
3.11の震災のあと、沢山のオペをしていて免疫低下があるためか・・・・
元々化学物に反応しやすい体質だからか・・・体調を崩し、2012年は高熱と咽頭の腫れ、急性の意識混濁と嘔吐など病院でも原因不明で薬が効かない現象でほぼ毎日悩まされていた。
そして、実際の自分の生き方や音楽表現に、このままでは矛盾が生じていくのではないか・・・と感じている中、
2012.12、”もうひとつの目に映る映像”に、タイ、北海道、讃岐・・・というキーワードが出て、翌2013に自分の意図するところというより、何かに導かれる流れで、あれよあれよと背中を押され事象(こと)が動きだした。
このことは、また少しずつ、綴っていきたいと思う。
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話をもどそう。
2013.8に26年住んだ東京から讃岐へ導かれるように移った。自分たちの中では、自主避難。
築いてきた人間関係、仕事、経済etcを清算し、裸一貫にならざるを得なかった。
付き合い始めてまだ間もなくの”あき”と、同じ方向をむいていられるのが、救いだった。
讃岐は、はじめて降りた土地だったけれど、僕の中では、深い深いご縁を感じ、「魂の故郷」となった。
だから、”もうひとつの目”に映った現象とは別に、生まれ故郷にいずれ向かうにしても、
しばらくは讃岐に居るだろうと思っていた。
それでも、いろんな事が重なり、再び何かに動かされ始めた。
有難いことに東旭川に一軒だけ貸してくださる家がすぐ見つかった。
勿論、讃岐でネット環境のみの不動産探し。
下見など出来ぬ距離だし、経済、ピアノ、どれをとって無理・不利な条件であったのに、ラッキーだった。
そして、2015.8 3歳までいた旭川へ45年ぶりに、フェリーで車ごと渡ってきた。勿論初体験。
大雪山連峰がドドーンと見える家。
田んぼエリアで、周囲を気にせずピアノを弾ける環境。大好きになった。
すっからかんだけど、出逢った方たちのお陰で、僕らは笑顔で頑張れた。
が!
が、・・・・・・・・・・ 後で近隣被害も判明し、市も絡む問題になったこと。
雪解けとともに、住み始めた頃以上の状況。それは、近所の養鶏場からのもの。
家を密閉していても、湧くように一日100匹以上のハエが室内に侵入してきた。
市の調査では、経営者が変わっての管理体制の変化からということだった。
なんとしても頑張っていかねば・・・という思い、近隣と共に頑張り土地の人間になりたいという思い・・・
毎日ストレスと戦いながら悩んだけれど、即解決はしないという事で、やむなく移動を決めたんだ。
もういいかな・・・時効かな? こんな感じ↓
模様じゃないよ。 「ハエ」だよーーーー。
ありがたかった。 本当に有難たかった。
空家はいっぱいあっても、貸してくださる場所がなかなかない現状だけど、
当麻の英さんに出逢えて、急遽、緑郷の家を貸していただける事になった。
「捨てる神あれば拾う神あり」、の心境だよ。本当に感謝でいっぱい。
こうして、2016.7、僕とあきは、「音むげん工房」の本拠地を当麻緑郷に移すことになったんだ。
知らない土地で、音活動の基盤をつくるのに必死な最中、
僕たちは、出逢った方々のお陰で、こうしていられる。
あきらめずに、笑いながら、一歩一歩。
ピアノの移動日に間に合わせるのに、徹夜で、繊維壁を剥いで漆喰を塗った!
決まってから数日しかない引っ越し。 英さんが許可をくれたので、自力でやった(^O^)/
2016.7 当麻緑郷。
オーヴここにも写ってるね。
ピアノ搬入。
お友達も一所懸命手伝ってくれた。 ありがとう!
7月から借家修繕しながらの、秋のライヴツアー。
まだまだ、途中なのに、雪になってしまった。
今度は、除雪に追われる日々(笑)
また、修繕の続きは、雪解けの春からはじめようと思う。
「音むげん工房」は、ここ当麻緑郷から発信していきたい。
自然に溢れた環境。 畏敬の念とともに。
シンプルに 真摯に 生きていきたい。
いろいろあるけれど、楽しいよ。
こうしていられるのは、皆さんのお陰。ありがとうございます。
2016.7当麻緑郷、ここから始まった!
2016年今年もありがとうございました。
2017年明けは、2017 冬★年明け音むすびツアー から始まります。
どうぞ、よろしくお願いいたします<(_ _)>(^O^)/
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