2019-01-11
耳元で、、微笑んで、、
奥様の許可をいただいたので、ほんの少しだけ。
1月6日の旭川コンサート、そしてケイオス会員限定の集いを終え、当麻緑郷「音むげん工房」へ帰る車の中で僕は、「それ」を知った。 涙はでなかった。 お疲れ様・・・そんな気持ちだったかもしれない。
コンサート前日の1月5日20時、京都で彼は天に召された。
出逢いは、僕が北海道へ自主避難した2015年8月。札幌での、はじめましての小さなコンサート。すぐに、応援会ケイオスの会員になってくれた。笑顔の素敵な、ちょっと騙されやすい紳士だった。
・・・まもなく彼は・・・・、社長であった彼の、最後の事業だと邁進していた矢先、誤認逮捕というとんでもない出来事で、人生の流れを大きく変えられてしまった。その心労からか脳梗塞で倒れ、3年近く闘病。奥様も随分と頑張っていた。
1月5日、奥様がご自宅へ戻ると、ポストに僕の送った「ケイオス会報」が届いていたそうだ。
僕は、まだ彼が目覚めていないかもしれない・・・と思っていて、「目を覚ましてくれ!」 という気持ちで、手紙を同封した。
それを奥様が、病室の彼の耳元で、読んでくださったそうだ。
そして、その日の夜20時 逝ってしまった。
視力をほぼ失っていた彼は、手紙を読み上げる奥様の声を聞いて、微笑んでいたそうだ。
ひでさん、頑張ったよね。もう一度、大好きな北の大地に来たかったでしょ?
奥様に、ずっとケイオスでいてあげてって言ってくれてたんだってね。
ありがとう。 今は、それしか言えないけれど。
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